老いるということ

晴れ舞台であるカジマヤーの日、
周りは騒がしく落ち着かないでいるのに、
義母はそれが自分のカジマヤーのためだとは理解できていませんでした。
なにね、私はなぜこんなところにいるの、
今日は何があるの、
そんなやり取りの繰り返しでした。
今日はおかあさんのお誕生日会ですよ、だからみんなが集まってくれたのよと
学校で使うような言葉(義母は教員でした)にかえて説明すると、
その時だけは理解して、そうね、というのですが。

一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、
義母の奇妙な様子は目に付くようになりました。
それでも、何かちょっとしたことで、
「すいませんねえ」とか、「お願いします」と言われた日には、
とてもボケているとは思えませんよね。
学校の愚痴もよく聞いてもらっているし。
また別の日には、こんなことも言っていました。
「私もときどき頭が変だと思うこともあるよ、
 よくわからんようになってしまうこともあるよ、
 でもそれがわかっているということは、まだ大丈夫だと思うのよ。」

自分がだんだん壊れていくという自覚を持つということ、
これってすごく怖いことではありませんか?
むかーしに見た映画エレファント・マンだっけ、そんなシーンがあったよね。
たくさんの弟妹だけでなく、孫や甥・姪のめんどうまでみてきた、
気丈な人だったはずなのに。
あんた、何々しなさいと言われて、
さぞ気の強い先生だったんだろうな、と思わせられる時の方が
むしろほっとします。
写真は、お土産に配った手ぬぐい。
DSCN4156.JPG
おまけ。
砂糖天ぷら(サーターアンダギー)。
すごく久しぶりに出かけた山里ゆんたく市場で買いました。
カジマヤーの時、
お祝い用のすごく大きなサーターアンダギーを積み上げて会場に飾ったはずなんだけど、
私は食べるどころか見る暇さえなかったんだよ。
なんかやることがないかと気を配っていたからね。
前日の夕食も食べそこね、当日の昼食もあやうく食べそこねかけたさ。
酔っ払いたちに氷がないと叱られたり、食器を洗ったりして、
1人台所で立ち回っている夫を手伝ったよ。
だからせめて、食べそこねたお菓子を自分で買って食べることにしたんです。
ドラゴンフルーツ入りのシールのとおり、
中には赤い果肉と黒い粒、そして何よりもドラゴンフルーツの酸味がしました。
限定、の言葉に弱い私です。
DSCN4148.JPG

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