わたしもお墓詣り

行ってきましたよ。雨は降っていたけど、お墓前の広間? にはちゃんと屋根もついているから大丈夫。温室みたいな鉄骨が設置してあるので、その上にブルーシートをかぶせ、ござを敷けば大きな応接間? 接待所? が出来上がるのです。写真が青っぽいのは、ブルーシートですっぽりと包まれた空間だからです。いちばん奥まったところに香炉があり、その前にごちそうが並んでいます。以前は各家庭で作ったけれど、今は買ってくるそうです。香炉の背後にある石が墓室の入り口で、動かすには3人の力が必要なんですって。このお墓は40年ほど前に以前の場所から立ち退きになってここに移転したので、遺体のままでお墓に納められたのは1人だけ、町に火葬場ができたので、その後はみんな火葬されたそうです。久米島では7年後に洗骨をするんだけれど、ほんとうに大変なのよ、とおばあちゃん。なんだか申し訳ないくらいに歓待されて、ごちそうの写真を撮りたいと言ったら、ラップまで取りかねない勢いで、さすがにそれは遠慮しましたが。次々とおまいりに来るのは男の人で、みんないい加減に酔っています。女の人は接待のために自分の家の墓で待ちます。「どちらさまですか。」と聞かれます。そりゃあそうだよね。みなさんといろんな話をします。でも自分が話すのはいいんだけど、話しかけられる内容は半分もわかりません。 お墓前広間から、外を見たところ。海が見えます。気持ちのいい場所です。天気さえ良ければ、ピクニックにもってこいの場所です。といっても、おうちのすぐ近くなのですが。10基近くお墓が並んで…

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島くとぅばあれこれ

以前に買った本「走る日本語、歩く島くとぅば」を読み終えました。予想以上におもしろかったです。島言葉について、日々の生活の中でなんとなく気になっていたことや、驚いたり腹が立ったりしたことが言語学の中に取り上げられている内容で、ちゃんと用語もついているということがわかって、私の中のもやもやも、はっきりとしてきてすっきりしました。その中から、いくつか例を挙げたいと思います。 1 ハイパーコレクション(過剰修正)方言に基づいた発音を、標準語の規則にのっとった類推から修正してしまうこと。それで私の感覚からすれば、発音とはまったくかけ離れた沖縄独特の表記が生まれたらしいのです。三線の先生が、うちなーぐちのわからない私のために、歌詞をひらがなで書いてくれることがあります。これがまた、どう発音したものか、さっぱりわかりません。先生は70歳代の方なので、旧仮名遣いだからわからないのかなあ、なんだか他の活字本に書いてあるのともちがうしなあ・・・と、ずっともやもやしていましたが、このせいだったのかも、と納得しました。 2 動詞の命令形。「しれ!」「見れ!」「食べれ!」っていうんですよ。どうも、若い人がよく使うらしい。学校でも子どもたちが使っているのをよく耳にします。「~させる」等の使役表現については、もっとぐちゃぐちゃで、ほんとわからない。 3 二人称「おまえ」老若男女を問わず、相手のことを「おまえ」と呼ぶんですよ。女の子がそう言っているのを聞くと、ドキッとします。この言い方、なかなか由緒のある言い方なのだとは分…

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真謝(まじゃ)で散歩

久々の集落散歩編です。(西銘で散歩、仲地で散歩、宇江城の散歩道など、ラベルの"散歩"も見てね。)真謝(まじゃ)はも久米島では古くからある集落で、学者仲原忠善を出した土地です。 以前からの集落の様子がよく残っている地区で、町の計画保全地区に指定されていたと思います。フクギの防風林や赤瓦の民家の家並みのことです。フクギについては、やむをえず切る場合には、どこにもう1本植えること、となっています。 戦後、コメの減反政策で稲作がサトウキビ栽培に切り替えられました。島の北側の比屋定や宇江城は、規模の大きい畑があるので、そこから切り出したサトウキビを南側の製糖工場へ搬入するために、島1周道路の整備が進んだらしいのですが、その時にこの真謝集落のフクギ並木が邪魔になって、けれどもなくしてしまうには忍びないということで、中央分離帯のようにして残してあります。「真謝のちゅらふくぎ」、観光用のパンフレットには必ずといっていいほど載っています。でもね、1周道路の1本内側に入ればこれこのとおり、お情けみたいにして残されたのではない、現役のフクギ並木が立派にそびえたっています。いいですね、自然で。ちっともわざとらしさや無理がない。あるべき所にあるべくして、立っている。 おまけ。天后宮。中国から来た冊封使(新しく王位についた国王を認める使者)の船が難破した時に、この地の人たちが命がけで救助したことを記念し、琉球王の命で航海の女神、天妃を祀る祠を建てたそうです。その折には中国の人たちからも扁額や銀が届いたそうで、その銀は明…

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出稼ぎに行こうかな

出稼ぎといっても、まあボランティアです。この島には最初からその心持ちで来ているんだし。実際には幸運にも十分なものをいただいているのですが。 全国的に、地域おこし協力隊という制度があって、若い人たちが3年契約で各地に入っています。地域の活性化をになうとともに、3年後にはその地への定住も期待されています(実際のところこれはなかなか実現していない)。久米島にも毎年数人が入ってきていて、島には離島留学生のための寄宿舎もあるくらいだから、教育関連で活動する協力隊員も多いようです。島に2校ある中学校には、学習支援員としても入っています。その人が、週1回、中学生のための勉強室を開いているらしい。それがちょうど三線のおけいこで山を下りる日なので、帰りにちょっとのぞいてみました。 1・2年は町役場の2階会議室で、受験生の3年生は改善センターの2階会議室と、分かれて勉強していました。写真は町役場、外からの様子です。灯りが煌々とついているでしょ。 まず、3年生の方をのぞいてみました。毎週出かける図書室の向かいの部屋でした。人数は4人ほどでしたが、さすが受験生、「ここがわからないんです」と、積極的に質問をしていました。取り組んでいたのは数学で、円周角の問題でした。調子にのって口を出して、できたのは自分でも驚き。でもその子は納得し、自分でももう1度手順を確認し、そして喜んでくれました。うれしかった。私が期待しているのはこういうことだったんだって、わかった。 1・2年生の部屋の方ものぞいてみました。こちらは人数(ざっ…

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三線 ひとりぼっちかな

三線のおけいこのことです。初心者入門コースを終了して、なんとか初級コースに入ったという感じです。半年、かかりました。 一緒におけいこをしている高校生の子、部活動にテストにと、いそがしいんだよね。彼女のベースで、なんとか続けられるようにと思って、私としてもいろいろ気を使ってみたのですが、うまくいかない。先生には、私はおけいこの曜日にはこだわらないので、だれか適当なほかのお弟子さんに合流させてもらうことも申し出たのですが、初級ではどうも、看護士さんのように日時不定期な人が多いらしく、うまくいかない。高校生、上達どころか、どんどん荒っぽくなっている気がする。焦っているのかも。でも、レッスンにも思い出したようにしか来ないし、来てもおけいこはしてこないし、やっぱり一緒におけいこを続けていくのは無理な気がする。 私1人でみてもらうことが増えたせいか、先生の教え方が変わってきました。より具体的に、より厳しく、ということかいろいろな。同じ節回しを何度も繰り返したり、とか。それはまあ、望むところだから、喜ばしいことです。個人教授にしていただきたいので月謝の相談を・・・と申し出たら、月謝については、1人になってもこれまで通りで構わない、新垣さん(三線を作ってくれた人)から紹介されて引き受けた大切な方だから、私が責任を持って指導します、と言われてしまいました。私にはありがたいことですが、先生、こういう風だから、個人レッスンが増えてしまって、声がかすれちゃうんだよね。でも、こういう損得関係ない、という人がいるのはうれ…

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芸能の水脈は流れる

三線、木綿花節のおけいこ中です。もめんばな、ではありません。むみんはな、です。私も三線の先生に何度も訂正されました。 具志川城の按司(あじ。支配者)が、この原っぱで花を摘んでいる農家の娘を見初めます。結ばれたところまではいいのですが、按司は那覇の王府に滅ぼされてしまいます。写真は再掲です。(7月30日「名古屋で食べたかったもの」) もともとは労働歌だったのでしょう、木綿を摘んで、いとしい人のために汗拭きの布を織りましょうという歌詞なのですが、でも、久米島で綿花は作っていたのかなあ。久米島紬は絹だから、養蚕はしていたんだけど。 これが歌碑です。 久米島を舞台とした3大名歌が「木綿花節」「久米阿嘉節」「黒石森城節」で、(「久米阿嘉節」は、以前に書いた阿嘉のひげ水が出てくる歌です。)毎年行われる久米島古典民謡大会では小中学生の部が「木綿花節」、成人の部では「久米阿嘉節」が課題曲になっています。先生いわく、「木綿花節」は久米島西中学の第2の校歌と言われているそうで、毎年運動会では全女生徒が踊るんだって。5年前の運動会での地方(じかた。歌と三線を担当する人)は、先生のお孫さん2人。2人とも男の子で、いとこ同士で、今は高校生ですって。琉球芸能のコンサートに出かけた時にも思ったのですが、普段の生活では、特に琉球の芸能の流れを感じることはありません。カチャーシーだって、みんながみんな待ってましたとばかりに踊り出すというわけでもなく、見てるだけの人も多いから。けれどもこうやって、時々、ひょんなこ…

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