田植えが終わりました

田植え。学校田んぼは10坪くらい。今年は暖かかったので苗が早く育ち、昨年よりも1か月早い田植えです。田植えをする学校は、久米島でも2校だけです。 昼、やぎ小屋に絵を描いたあとの、ペンキだらけの皿や筆を洗っていたら、masa56さんに呼ばれたよ。何やってるの?手貸して頂戴って。まあ声をかけてもらえるのはいいことです。稲の苗の根についている土を落として、植えやすいようにするのがお仕事。といっても私ではさほど役に立たないことがすぐに分かりましたが。もう久米島では米はずっと作っていないんでしょ、作り方、忘れない?と聞いたら、学校へ入る前から手伝っていたんだから忘れないよ、だって。失礼しました。 子どもたちが動きやすいように、水は少ししか張っていないのですが、それでも足を泥にとられて動けなくなる子が続出です。そんなときは、すずめや台風の風よけネットをかけるための骨組みにつかまって脱出します。 初めて田植えに挑戦する子(1年生と転入生)には、masa56さんがつききりで教えます。小1時間もすると子どもたちは飽きちゃうからね、仕上げは先生たち。ご苦労様です。 最後は、山からの湧水で足を洗います。夏のような1日、湧水だって、全然冷たくありません。 この調子だと、7月上旬には稲刈りかな。そして12月にはもちつき大会・・・季節は巡り、私の久米島での2年目が見えてきました。

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三線の日が近づいてくる

来たる3月4日は、ごろあわせで三線の日。島の三線愛好者が一堂に会します。12曲のうち6曲しか習っていない私には、すごいプレッシャーです。9月の「工工四の日」の時には、何も知らずに好奇心だけで飛び込んだからよかったようなものの、「ああいう場所で弾かないでいるのはその方が恥ずかしい、とにかく楽譜を見てついてくるように」と、今回は先生がちゃんと準備をさせようとしてくださるので。どうしようどうしようと気ばかり焦って、ピアノのおけいこもせず4時になったらすぐさま家に帰るほどです。帰ったところで一心不乱に練習するというわけでもないのですが。 おかげで、古典と言われるものがどんなものか、少しは分かってきたように思います。三線がというよりは歌が、その節回しがとても難しい。これは記譜の問題もあると思われます。工工四(くんくんしー)とよばれる三線の楽譜は中国起源のものだそうですが、慣れ親しんだ西洋音楽の記譜に比べると、なんとも荒っぽい。だから耳で聞いて覚えるしかないんですね。よくそれで、崩れずに伝承されてきたものだなと思いますが、それは先々のことを考えると、なかなか困難な道ですよね。だって絶滅危惧種とされるうちなーぐち(琉球語、沖縄方言)にしたって、変わっていくダイナミズムをもっているからこそ生き延びていけるわけでしょ。古典って、固いなあ。西洋音楽であれば、古典中の古典バッハだって、というか、シンプルな古典だからこそ表現の自由が生まれてくるのに。つま弾くといった感じで気ままに音楽を楽しみたい私は、今度沖縄のどこかへ…

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田植えの準備

苗づくりするからって、なんのことかと思いました。学校の田んぼに植える、稲の苗のことでした。これが、先生(masa56さんだよ)による蒔き方の見本。プランターに蒔くんだね。ひょろひょろと、白いひげのような根っこが出ているのがかわいい。こんなんを見るのは、もちろん生まれて初めてです。発泡スチロールの箱の中から、1つかみずつ取り出して、プランターに蒔く子どもたち。私もやってみましたが、種もみの手触りは、がさがさして暖かい。子どもたちが「くさい」と言って騒いでいましたが、これが発芽の匂いなのでしょう。仕上げは種の上から土をかぶせて、たっぷり、でもやさしく、水をかけます。なぜ発泡スチロールの箱に入っているかというと、保温のためだそうです。夏なら土にばらまくだけでも発芽するけれど(久米島では2期作も可能)、今はまだ寒いからね、まずしばらくは湧水に漬けておくのよ、湧水は温かいからね、それからは家で、朝と晩にお湯をかけるのさ、だって。とことん、自然の恵みを利用するんですね。 そして週明け月曜日、こんなふうになっていました。温室と同じですね。苗の成長を待って、田植えは4月になってからだそうです。昨年私が久米島へやってきたのは、ゴールデンウィーク明けの5月だったので、田植えはもう終わっていました。それどころか、学校に田んぼがあることさえ知りませんでした。今年は長靴もあるから、田んぼへも入れます。楽しみです。 おまけ。3年生社会科「昔の暮らし」の学習で、洗濯板を使う体験。さすがの比屋定にも、昔の洗濯板や洗い桶は残っ…

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トゥシヌユールとソーグヮチ

久米島では、旧暦の行事がけっこう残っているようです。だから、正月は3回あります。新暦の正月と旧正月と、後生の正月です。農業や漁業は旧暦との関連が強いので、本島でも漁業の盛んな糸満や、久米島をはじめ離島では旧暦での習慣が残っているそうです。 トゥシヌユールは年の夜、つまり大晦日、今年は2月4日でした。Aコープの広告にはごちそう用食材の写真が踊っていました。ごちそうの内容はお盆の時と同じような感じでした。年越しそばは、沖縄そばのソーキそばです。ソーキとは、あばら骨つきの豚肉です。ところによっては、門松として背の高い笹を飾ったり、大漁旗を飾ったりするそうです。 2月5日は旧正月(ソーグヮチ)、学校では特別なことはいないものの、給食がお祝いメニューでした。内地の正月は餅正月、沖縄の正月は豚正月と言われるように、豚肉を使ったごちそうで、クープイリチー(昆布の炒めもの)、中味汁、赤米黒米入りの五穀ごはん、紅芋のゴマ団子です。そうそう、同僚が、法事だか葬式だかの日に、お惣菜用にクープイリチーを買って帰ったら、こんな日になぜめでたいものを買ってくるのかと叱られたことがあったとか言っていました。 おまけ。食べ物関連、とうことで。缶詰のポークビーンズと、缶詰のカットトマトと、学校畑の大根とにんじんを煮てみました。和風チリカーンといったところかな。生のニンジンの葉は飾りのつもりでしたが、なんのことはない、全部食べてしまいました。こちらではアメリカ風生活の影響で、いろいろな缶詰が売られていますが、どれもそのままでは…

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もちつき狂騒

狂騒はさすがに大げさかな。でも、大騒動だったことに間違いありません。 まずはもち米。7月の終わりに学校の田んぼで稲刈りをしました。ところがなんだかんだとあって、その米を天日に干すのが遅れてしまったのだそうです。だめだろうとは思ったものの、無理やり精米はしてみたそうですが、普通の何倍もの時間がかかり、それでもやっぱりだめだったのだそうです。 そんなわけで、市販のもち米を購入。実際のところ、学校の田でできたお米は、臭いがしておいしくないそうです。また老人会のみなさんを招待するので、学校のお米だけでは固くて食べられないそうです。学校で米作りといっても、現実はなかなか厳しいですね。 私にとって本格的な餅つきは、ほとんど50年ぶりです。子どもの時には祖母の家でして以来です。一晩水を吸わせたもち米を包んで、蒸し器に入れます。さすがに学校にかまどはないので、会場(体育館)の外にガスボンベとこんろを置きます。蒸すのに、小1時間かかりました。 あらかじめ大人がついた後、子どもたちの出番です。味付けは砂糖醤油、きな粉、いもあん(紅芋と安納芋)の3種類。長机をたくさん並べ、その上にサランラップを敷き、もちをちぎり、片栗粉をまぶし、味をつけていきます。子どもたちや老人会のみなさんがつきたての温かいもちを食べている間も、私はひたすらパック詰め。お客さんや子どもたちのお持ち帰り用です。もちろん、職員の分もです。温かいうちにつまみ食いできなかったのはちょっと残念でしたが、レンジでチンしてもけっこうおいしかったです。 …

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棚田を見に行く

字仲地(なかち)。君南風殿内(チンベーどぅんち)のある由緒ある地区です。そこに、現在も棚田が作られていると聞いて行ってみました。7月ごろに植えた今年2回目の稲で、もち米だそうです。家の庭の続きから5枚の田んぼがだんだんと降りていきます。それぞれの田は大きさも形もまちまちですが、大きいものでもせいぜい教室ほどの広さです。またその周りには、明らかに以前は田んぼだったとわかる部分もあります。青い空の下、風にそよぐ緑の苗、キラキラ光る水面、浮かぶ水草、あめんぼ、とんぼ。たえまなく流れる水の音。脚の長い水鳥も数種類いました。水辺の生態系が立派に機能しているのでしょうね。田んぼの中には大きな石がそのままになっていて、ちょっとした盆景のおももちです。機械化されていないからこそ、こういう温かみのある風景も生まれるのでしょう。 たまたま持ち主さんが作業をしていらっしゃってお話をすることができました。ここは区画整理ができなかったから残った。区画整理ができたところはみんなサトウキビ畑になって、水田はなくなった。しゅみでやっているみたいなものだ。こんな少しの田んぼでは商売にはならん、商売にしようと思えば、ここらあたり一帯を全部1人でやるくらいでないと。若い人がやりたがらないからしょうがない・・・部外者の私としては、「この美しさは島の宝物ですから」というのがせいいっぱいでした。 島一周道路から島の南西側の海までは、なだらかな斜面が続いています。以前は、海まで一面に水田が広がっていたのでしょう。水田の向こうにはイノー(さ…

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